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自分にとってのコンピューター情報

 コンピューター(パソコン)、僕は小学校5年生(10年以上前の話だが)のとき初めて触れ、その後、親に買ってもらい10年以上使い続けている。便利な『道具』として、使っているのであってそれ以上でも、それ以下でもない。
 思想家の吉本隆明が以下のような事を述べている。
「僕はワープロもパソコンも使わず、原稿は今も手書きですが、もともと理工系出身ですから、ハイテクに対する嫌悪感は全然ありません。ワープロやパソコンも覚えるのに時間がかかり、時間的余裕がないから、やらないだけです。技術の産物は、使えないよりは使えた方がいい、というのが僕の考え方です。
 インターネットにしろ、情報化学、情報工学にしろ、それが発達すればするほど、知識も増え、生活面でも便利になるのでしょうから、その発達自体について、僕は反論とか、反発は別にないんです。でも、その発達が人間の精神や心を発達させるかといえば、そうじゃないよといっているわけです。(超20世紀論より)」
 道具として、10代からコンピューターに触れて育ってきたので、ある程度の機能は使えている。しかし、新たな機能が発達したとしてもそれをこぞって追い掛けるつもりはない。もし、本当に自分にとって活用できる機能が出てきたならばそれを使おうと努力しようと思う。その情報へのアンテナはつねにはりめぐらせてある。
 ただ、作曲をするものとして、いまほとんどの機能は役にたっていないと思う。確かに、レコーディングする時、商業音楽を作る時などは、これ以上使える『道具』はない。そのものが、『商品』になるからだ。ただ、商業音楽ではないものを、作曲して実際に演奏される時、コンピュータで鳴らした音よりも、自分の頭でイメージした鳴らした音の方が、かなり正確で作曲のさい役立つ。五線譜に向かっていた方が豊かだ。
 松任谷正隆がこのような質問にこう答えている。
「プリプロの段階で自分の打ち込んだものを生に差し替えるという事があるかと思いますが、その結果自分のイメージいた世界と違うものになってしまった事はありますか?
−ええ、ストリング(弦楽器)の音を生に差し替えた結果シンセほど広がらなかったとかね。そのときは、生のストリングスにシンセをミックスしました。」
 まさしく、これが語るだろう。生の楽器のニュアンスというのは絶対に今のコンピュータ技術では表現しきれないのだ。
 前出の吉本隆明がコンピューターについてこう述べて閉じている。
「人間の一番重要な精神の問題ってのは、情報科学の発達で届くような事ではないということですね。」
 作曲とは、精神的な表現だ、表出だっていう魅惑的な考えをもとにすると、コンピューターはあくまで『道具』として使うべきである。作曲にも役にたったり、便利になったり、活用できる分野はたくさんあると思う、そこを自分で判断し利用していくベきだ。これが、僕にとってのコンピュータ情報の一貫した態度であり姿勢だ。