|
2004. 7.31
何時の間にか7月も終わろうとしている。
ここ最近、編曲にずっと追われている。とあるグループのためのサンサース「白鳥」、香川県人会?の女子十二楽坊の「自由」(これが案外苦戦した。アンコール曲らしいのでここで書いていいのか気が引けるが、まあここを見ている人でコンサートに訪れる人はいないと判断して、笑)、そして難題、尺八、箏、うたの編曲、これは12曲もある。。。そして、詩とピアノの為の曲も書かないといけない。もう、気が狂いそうなくらい、いそがしい。
そんな中、ささやかな楽しみがある。
チェリビダッケの指揮する、CDをゆっくり、身をまかせて聴くということ。固定概念や、先入観から精神を解放し、チェリのいう「禅の境地」、僕の言葉でいうと「植物的身体」で聴くこと。
チェリビダッケ、20世紀の巨匠、完全主義者、リハーサル狂信者、録音嫌いなどといわれる大指揮者。もちろん、チェリのいうように、録音メディアでは完全な再現などありえない。音楽は、空間が大事というのも分かる。ただ、いまこの世にいない、偉大なるチェリの一端をいま感じることができる。音楽、本来の音楽、<純粋なる意識>による音楽の一端を体感出来る。すばらしことだ。
機会があれば、チェリビダッケについてこのホームページでも特集を組みたい。何時になるかは分からないけど。MUSICのページも完成させなくてはならないし。
2004. 7.12
参議院選挙が昨日終わった。
思うところがある。今回、民主党は大きく票をのばし、自民党は議席を減らした。もちろん、小泉政権おかしなところはあると思う。ただ、マスコミは公平さにかけるのではないだろうか?小泉政権を終わらせたいのか、責任問題と、責任はどう取るのかなどと、意味の分からないことを問う。きっと、どこの党が政権をとっても同じことをする。与党で過半数に達しているのだから、問題ないと思うし、参議院は良識の府である。決して、政権選択選挙ではない。そして、タレント、キャスターなどが選挙に出ている時点で間違えだし、有罪が決まって執行猶予などという人が出る選挙ではない。そこを、問うたらどうだろうか?どこのニュースキャスターも、自分が総理大臣にでもならないとダメなんじゃないかと思う。
年金問題、確かに全然ダメといわれてもダメだと思う。でも、このままじゃダメという疑問符を投げ掛けた評価もあっていいと思う。そして、これから、協議していってよりよいものにしていって欲しいと思う。それを考える為の、議員なのであるのだから。民主党もワガママ(僕にはそう見える時がある)いっていないで、ちゃんと色々なことをダダをこねないで考えて、ちゃんとぶつけないとダメだ。そうしないと、政権担当能力なんてまったくない。そこを、考えて欲しい。
2004. 6.11
今日偉大なるシンガー、レイ・チャールズ(Ray Charles)が逝った。そう、亡くなったんだ。僕は、凄く影響を受けたアーチストの一人であったので、とても、悲しい。そんな言葉では表す事ができない位に。
彼の影響を受けたアーチストが、また、色々な形で影響をあたえ、いい音楽が出来ていくことを祈りたい。彼が、「血がそうさせるんだ」というように、本当の魂、肉体、自分自身の何かが表現された、本当にいい曲が、この世の中に溢れる事を祈る!
そして、僕はレイ・チャールズに偉大なる感謝をする。いい音楽をありがとう!
御冥福をお祈りいたします。。。
2004. 5.20
年金の問題について。
小泉首相の年金非加入問題。ひとつおかしい事。「国会議員は、国民年金を任意(本人の自由意思で)加入できる。すなわち、国民年金に加入しなくてもよい。」と決められていた時代に、国民年金を払っていないのが何故、問題になるのか?そして、報道は未加入と間違った日本語を使い続けている。こんな、ウソの報道ばっかりしているから日本のメディアにはモラルがないと問われるのだ。そして、学生時代に国民年金を払っていなかったといって何故問題になるのだ!国民年金は我々のような学生には払いたくても払えないくらい高い金額だ。そういうのを理解してモノを言っているのか考えて欲しい。「学生の国民年金は自動的に払わなくていいとか言うシステムだって作らないといけないのではないか」と言う提案をする報道が一つでもあっただろうか?ウソの報道をし、過った考えを言うなどおかしい。日本中にそんな情報を流すのはおかしい。小泉首相が「年金未納だったのですが、それに対していかが思いますか?」なんと言う質問を一般人にするのはおかしいのではないか。その答えた人たちは、その任意加入期間だった事、学生時代の事である事を認識してものを言っているのだろうか?そこを説明せず、街灯でインタビューしそれを、テレビで流す。呆れてものも言えない。「未加入、未加入」と騒いで馬鹿ではないかと思う。
本当に、メディアのモラルが問われる。
2004. 5.14
先ほど、東京国立博物館で開催されている「空海と高野山」という展示を観に行った。仏教(密教)、曼陀羅、そして仏像、邪念などといったものをもっていては見れない圧巻だった。考える隙はなく、精神と肉体だけがそこにほうり出されているような感じだ。
偉大なもの、深いものに触れると、邪念や、知などと言ったものはもう関係なくなる。本当の「人」の姿に帰るのかもしれない。作曲も本当に、己で、本当の「人」として書いてみたい。そうすれば、何故表現するのか。何を表現するのかというのがある角度から見えてくるかもしれない。
そう、もう一つの感動、「武田信玄」を長谷川信春が書いた「画」の本物を生で見れた事。時代の息吹を感じる。とても感動!!!
2004. 5. 3
最近は、時事関係の事ばかりをここに書いているような気がする。今日は、ふとこの間思ったことを書こうと思う。
演奏解釈に着いて−例えば、今僕がバッハの曲を弾くと仮定すると−、どう弾くかというのは楽譜との対話でしかない。そして、バッハの息遣いを感じるように努力する。その為には、時代背景や、当時の音楽を研究する。だが、それを忠実に再現するという事は必要ないと思う。最終的には、白痴状態で、自分の中の「何か」が求めるまま行けばいい。時代背景や形式などといったものは、どこからか、その白痴状態の中にはいっていくのではないだろうか。だから、演奏法としては、この部分はテンポは揺らがないように、この部分のダイナミクスはあまり変化をさせないように、ここの音はこう弾くようになどというのはまったく無意味なのだ。そんな事を指導する人は、「知」にだけに頼る才能がない人だ。何かを表現しようと思わないのだろうか。演奏は、十人十色でいいのだから。
そもそも、作曲された曲、作曲した曲というものは、演奏家という媒介があって、作曲者から聴衆に伝わる。作曲家が直接伝えないで、演奏家というものがいて、その曲に第2の魂が吹き込まれるのである。演奏家はそして、表現者の一員になる。そこが重要なのだ。だから、白痴状態でそこに、客観性が生きてくる演奏が、表現者として、優れた演奏なのではないだろうか?
メルロポンティーは、主観と客観の両義性を現象学という分野で切り開いた。そして彼は言う。
内面的人間なぞというものは存在しないのであって、人間はいつも世界内にあり(世界に属しており)、世界の中でこそ人間は己を知るのである。常識の持つ独断論や科学の持つ独断論から離れて私が己れ自身に帰るとき、私がそこに見い出すものは、内在的真理の奥房ではなくて、世界へと身を挺している主体なのである。(知覚の現象学1)
こんな素晴らしい言葉はないのではないだろうか?この事については多くは書かない。このスペースではかたり尽くせないからだ。機会があったら書く事にしよう。
芸術とはその都度心理を求めていくのであって、正しいものなどない。作曲も、演奏もそうであって、青写真や、正しいものなどない。すべてをしっかりと自分の目で見(客観)、そして、おおいなる欲望と思いのままの演奏を耳で聴けばいいのだ(主観)。バッハだから、フランスものだから、ドイツものだから、こう演奏すればいいなどないし、こう作曲すればいいなんてない。自分の目(客観)と耳(主観)で、自分の血が流れている、演奏、作曲をしなければならない。
作曲も演奏も本当にいいものが残るように。芸術としていいものが残るように、切に願う。
2004. 4.30
イラク人質事件統括。
今日、被害者の2人が会見し、ある程度決着が着いたのではないかと思うので、僕なりに思う事を統括します。そのためには、ここの事柄を別々に判断しなければならないと思う。物事が複雑になりすぎている。
イラクへの自衛隊派遣。そもそも、この問題は憲法9条に関わってくる。しかしながら、我々が選挙で選んだ国民を代表する国会議員が決めた事である。そして、これに違和感を思うならば、もっと大きな世論がなければならない。だから、この問題はどっかで多くの国民は認めてしまっている節がある。そして、この事件が起こったからと言って反対と唱えたり、この機に乗じてこの問題を考え直そうなど言うのは、もう考え方としてダメだ。
そして、国家への交渉の為に、民間人をイラク国内で拉致した。拉致グループは、「あなた方民間人に危害を与えるつもりはない。」と言ったらしい。国家への交渉のために民間人を利用したと言う事だ。拉致グループにとってはそれは必要の事だっただろう。しかし、国家はその要求を拒否した。その時、彼拉致グループが、国家と市民を区別し、民間人の人質を殺さなかったのは、大いに正しい事だと思う。拉致すると言う行為はよくない事だとしても、それは大いにほめる事であるし、ある意味においては大きな事件である。
ただ、拉致された人々は、人道的に優れた事をしていたとしても、その現状を一生懸命まともに報道しようとしたとしても、やはり、ああいう危険で、政府が行かないようにと呼び掛けているところに行くべきではなかった。それだけは、間違いないと思う。行動の自由などをいうかもしれないが、そこに行くのは本当の意味での自由とは違う。「自己責任」というが、そういうところの自己責任だと思う。拉致されたのはしょうがないとしても、その場所に、今の時期はいってはならなかったのではないだろうか。どうしても行くのだったら、せめて、外務省に届けたらどうなのだろうか。最低限の事はやらねばならないと思う。
ただ、無事に解放されて、今もこの世界に生きているのだから、こんなに喜ばしく、感動的な事はない。堂々とこれから世界で生きて、自分の信念を貫けばいい。ただ、今回の事は反省としてしっかりといかして欲しい。もし、自分は何も悪い事変な事をしていないといっても、やはり、皆心配し、ある人たちは懸命に救出のために動いた、その為に、国益は損ねたかもしれない(事実、川口外相は国際会議を欠席したのだから)のだから、少しは反省して欲しい。
これからも彼らの活躍を祈る。そして、世界が平和へ一歩ずつでいいから向かう事を願う。
2004. 4.10
最近、いろいろと忙しくここも更新していなかった。いろいろ思うところはあるのだけれども、一つだけ今日は書こうと思う。イラクの邦人拉致問題。
自衛隊は撤退するべきでない。被害家族の心情は分かるが、マスコミなどに出るべきではない。デモ、あんなの今頃しても、遅い。
外務省は、海外安全情報でイラク全土を「退避勧告」という極めて危険な地域で、訪れるべきでないとしている。その中に、拉致されたメンバーは行ったのだから、覚悟は出来ているだろうし、それが出来ていないのなら行くべきではない。そして、そのような場所にいって何が起こったとしても、それは本人の責任であるのだから、ある意味においては日本政府は関与しなくてもいい。そして、拉致されたメンバーは、その安易な行動で、日本の国益を損ねるような事をしているのだから、家族はあんなところに出てきて「自衛隊は撤退して欲しい」など言っている場合じゃない、心情は理解できるが。
果たして、このメンバーを救うために日本はどれだけの税金を注ぎ込むのだろうか?勝手気侭な3人の行動のために。それは、本人あるいは家族は払ってもらえるのだろうか。
これは、予期せぬ出来事ではない。散々、注意を促され、外務省も「退避勧告」という極めて重い判断をしている。そこに、自分の意思で行って、自分の考えで行っているのだから。飛行機がハイジャックされたり、ペルーの大使公邸の事件や、日本国内で起こっている誘拐事件とは違う。成すべくしてなった一面もあるのだから。
報道もそこをしっかりとらえ報道しなくてはならないし、この事件で、世論を分割するような事を起こしてはならないし、自衛隊問題を掘り返したり、再考するなどと言うことをすべきではない。
2004. 3.26
今日、ニュース番組を変えたと言っても過言ではない、ニュース番組、ニュースステーション(テレビ朝日系列)が、18年間の幕を閉じた。いい報道あり、行き過ぎた報道あり、それは、とにかく全体としていい報道番組だったと思う。最初この番組を真剣に見始めたきっかけは、何を隠そう、僕の憧れの女性の1人である上山千穂(こんな場所でこんな事を言っていいのだろうか、と疑問が残るが)が出ていることだ。
ただ、最後に感じ入る事があった。この番組の屋台骨、大黒柱と言っても過言ではない、久米宏のスタイルだ。最後、震えながら手酌のビールを飲むシーン、最後まで、自分で自分のスタイルを貫き通した。そこには、きっと不安や迷い、苦しみなどがあった事だろう。でも、最後までやりとおした。自分のやり方スタイルを、−自分の成長ももちろんあっただろうが−貫き通したんだ。そこに、久米宏と言う存在意義があり、久米宏と言う人間がいる。僕は、喜んでビールをお酌してあげたい!本人は嫌だと言うだろうけど。
本当にお疲れ様!そして、これからの人生を影ながら応援しています!
ただ、一つ気になる事。我が愛しの、上山千穂はこれからどうなるのだろうか?とても、頑張って欲しいのだけれども!
テレビ朝日の編成局の皆様、上山千穂をどうかよろしくお願いします。
でも、最後に、本当に久米宏をはじめ、ニュースステーションに関する皆々様、本当にお疲れ様でした!そして、感動をありがとう!
2004. 3.21
「自爆テロ」の、宗教的必然性。吉本隆明は以下のように述べている。
アメリカとイスラム原理主義の「戦争」について、判断に「厚み」をもたせるためには当然、イスラム教という宗教についても考えておかなければならない。
イスラム教のコーランというのは、キリスト教でいう新約聖書だが、その教えはだいぶ違う。しかし、オリエント(東アジアを含まないアジア)から発生した宗教というのは、大なり小なり直系の祖先といえば、キリスト教の前はユダヤ教なのである。ユダヤ教を広い意味で解釈すると、コーランはユダヤ教の流れを組む一つの宗教だという考えがあるくらいだ。
日本に当てはめて言うと、イスラム教は仏教と考えられる。日本の場合、寺が大部分の人たちの信仰の場になっているので、もっとも日本国民に影響があるのは仏教というふうに思ってよいだろう。そして、日本の仏教の中でイスラム原理主義と同じような原理主義的な教義を持っているのは、平安末期から鎌倉時代にかけて広がった天台宗とそれ以前のものだと思う。
日本の天台宗の開祖は最澄である。中国では、智ギ(ギは、豈に頁)という人が開祖なのだが、それを最澄が中国へ行って日本に移植したわけだ。天台宗の根本聖典というのは法華経である。天台宗以外でも法華経を聖典としていた宗派もあるが、天台宗以前の日本の仏教は、いわゆる小乗仏教で、各宗派に別れてたくさんあったのを天台宗がひとまとめにした。広く民衆に何か宗教的な善を施さなければいけないという教義になったのは、天台宗が初めてなのだ。そういう意味では、最澄以降の仏教はみんな新興宗教である。道元が始め曽洞宗もそうだし、日蓮宗もそうだ。
興福寺という天台系の寺があるが、興福寺には頭巾をかぶったお坊さんで、薙刀を持った僧兵というものがいた。法華経には「この教えをないがしろにするやつは、刀杖でもってやっつけていい」というようなことが書いてある。教えを守るためには人を殺してもいいというような意味合いでは、イスラム原理主義と似ているのではないだろうか。
つまり、この教えによれば、それ以外に教えを守る手段がないとなれば、自爆テロに打って出ることもあり得るのだ。(吉本隆明のメディアを疑え 吉本隆明著 青春出版社)
「こういう考え方」というより、「こういう宗教」もあるということも感じた方がいい。宗教は人生にとってもっとも重要だという考えが、もちろんある。そして、その中ではこういう考え方もあるということ。
だから、様々な点で追い詰めない方がいい。これは何事にもかもしれない。
2004. 3.18
今日の朝日新聞の朝刊の気になった記事。
JR東日本のスイカと、JR西日本のイコカというICカード型乗車券が相互利用できるようになるらしい。
僕は、スイカの事しかしらないが、このカードは本来もっと薄くなるらしい。ただ、海外で安く大量生産をする為にあの厚さになったと言うのテレビ番組でやっていた。日本の技術を使わずに安く大量生産。クオリティーといったものを無視し、安いというのだけに焦点を当てる最近の日本のやりかた。なにか、悲しいし虚しい。しかも、いままでJR同士でも互換性がなかったのだと思うと、ますます虚しい。
2004. 3.17
今日の新聞一面を飾った「週刊文春、出荷停止」問題。
今日の朝のワイドショーなどでは、「言論の自由を制約するものだ。」と声を張り上げ、「プライバシー侵害」である事は確かだが、という馬鹿げた事を言っていた。そもそも、個人情報、盗聴等の問題では漏えいの可能性などこれはおかしいなどと声をあげといて、このようなときは「言論の自由」などと声をあげていてはそもそも本末転倒ではないだろうか。
また、吉本隆明がこんな事を述べている。
事件(ある事柄)のいちばん肝心な点を報道せずに通り過ぎると、事件はみんな善玉と悪玉に二分されて、視聴者の中に偏見だけを積み重ねてゆく事になる。その恐ろしさが見えなければおかしい。(「悪人正機」吉本隆明、糸井重里 朝日出版社)
そもそもこの問題は、前外相の田中真紀子の長女という、私人のプライバシーに関する事を報道した。そして、ある裁判官の1人が週刊文春に対して、出版差止めの仮処分を下した。「言論の自由」と大声をだしても「個人の人権」の上の「言論の自由」ではないか?
自分が犯罪も何もしていないのに、不利益な報道をされたらどう思うか?そう考えたら自ずとこの問題の本質は分かってくるのではないだろうか。
今日のような報道は、視聴者に偏見だけをあたえている。肝心な点よりも、報道のすがりどころ「言論の自由」だけに焦点を当てている。まったくもっておかしい。
メディアのモラルが問われる。
2004. 3.15
マラソン女子のアテネ五輪の代表選考から、高橋尚子がもれた。いささか悲しい。誰を選ぶにしろ賛否両論あるのだろうから、それはしょうがない。選考方法にも問題があるだろうと思う。そして、国別の出場人数が決まっているのなら、五輪シード権などをもうけて、前回五輪でのメダル獲得者は、国別の出場人数外で、本人の意志により出場、欠場を選択できるなど考えたらいいのではないか?引退していないのに、前回の優勝者が出場できないのは何となく悲しい。
日本中がこの話題で持ち切りだが、スペインのニュースが気にかかる。
テロがおこり、総選挙で公約がイラクからの軍の撤兵の野党が、与党の議席を上回った。日本の参議院選挙でも同じような事がおこるかもしれない。
テロ、これも難しい問題だ。
ただひとつ確実に感じている事。「テロを撲滅」なんて絶対に出来るわけがない。そして、「イスラム原理主義=悪」とアメリカがいう、つまりメディアがいう、そして伝わる限り自爆テロはなくならない。論理がこれではおかしすぎるのだ!
(次回へ続くかも。。。。。)
2004. 3.14
最近、身体の調子があまりよくなく、どうしたのだろうか?と思っている。まあ、無理をせず身体を休めるのが一番いいとは感じているのだが。
何か分からないけどいろいろと忙しい。。。。
ピアノ独奏の曲も書かなくてはならないし、他にも書かないといけない曲がたくさんある。ピアノ独奏、僕はこの編成があまり得意ではない。自分が上手く弾けないからかもしれないが。「小さなうた 2番」と名付ける予定のこの曲、あと10日くらいで完成を迎えられるだろうか?
そう、最後にひとつ紹介したい文がある。加藤周一が「私たちの希望はどこにあるか」という、講演記録の中でこんな事を述べている。
自分のいっている事は間違っているかもしれない、自分の主張する命題は否定する事が可能であり、実際にそうなるかもしれないという事を絶えず意識し、そう宣言しているのが科学者だと彼(科学者ファイマン)は言っています。自分自身の信念に対しても疑いを加えるのです。ファイマンはノーベル物理学賞受賞者ですが、文部科学省の小役人が委員会で作ってこれは真理だなんて言っているのは僭越ですよ(笑)。
真理はこれだけと思わないでください。入学試験は、マルつけてこれは正しいこれは間違いと言う方法でしょう。それで訓練されていますから、そこから自分自身を解放してほしい。解放すべきは文部科学省からの解放ですよ(笑)。
そう、もうちょっと疑って世界を見た方がいい。自分のいっている事、やっている事も、もうちょっと疑ってみた方がいい。自分も、日本も、世界も、少し疑ってみればいい。真理はこれだけではないのだから。
2004. 3.12
イラク戦争、戦争に思う。
やはり、最近のニュースで盛り上がっているとすれば、イラク自衛隊派遣、ミスタープロ野球、長嶋茂雄の脳卒中だろう。長嶋監督には良くなって欲しいと心から祈っているが、それ以上は何もない。マスコミはあまり騒がないほうがいいと思う。主治医の東京女子医大、内山真一郎教授(ちょっとキザっぽいけど、その世界では有名らしい。)の言うとおり、暖かく見守ってはどうかと思う。
戦争。昨日、東大の合格発表で私は、「何が何でも、戦争反対です。」なんてテレビで言っていた人がいる。僕はそれには違和感を覚える。
「どこかの国が日本を侵略してきた。」と仮定すればその理由が分かると思う。信念やポリシーに基づいて戦争反対を叫んでもいいし、自分は戦争行為を行わないと宣言してもいい。ただ、敵が目の前に来て自分の肉親や恋人、親友とかが殺されたとしたらどうするか。そうなったら、僕は戦います。ゲリラになってでも戦うと思う。
そう考えると、イラクの人達が肉親などを殺されたとして、アメリカにテロ、ゲリラを起こしたとしても納得できる。
2004. 2.27
全然ここに書いていない。最近の僕の中での大きな出来事。
千葉ロッテマリーンズの監督に、ボビー・バレンタイン氏が復帰した。僕は待望の復帰だ。9年前、熱狂的なロッテのファンだった僕は、あの年の事を決して忘れない。当時、ゼネラルマネージャーだった広岡達朗氏(もちろんかれもとても優秀な野球人だが)との確執で、2位まで躍進したチームながら、電撃解任。僕は、署名集め。そして、最後の最後まで(最終戦は西武球場−今の西武ドーム−だった。)声をからして復帰を願ったものだ。そして、あのバレンタイン監督が復帰する。今年は、球場に足を伸ばそうと思う。今年のロッテはとても楽しみだ。
自分の出来事では、4ヶ月以上かけた力作?−いや、最後の方がしり切れとんぼになってしまったが−がこの間完成した。弦楽六重奏曲。秋頃には、旧東京音楽学校奏楽堂(通称、旧奏楽堂)で演奏される事になっているので、お時間がある人は是非に足を運んで下さい。
|